大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成元年(行ツ)29号 判決 1989年5月12日

大阪府吹田市山田東四丁目四一番五-一一一五号

上告人

廣尾春一

右訴訟代理人弁護士

守井雄一郎

大阪府吹田市片山町三丁目一六番二二号

被上告人

吹田税務署長

村本理

右当事者間の大阪高等裁判所昭和六三年(行コ)第六号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が昭和六三年一一月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人守井雄一郎の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決を論難するものであつて、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 奥野久之)

(平成元年(行ツ)第二九号 上告人 廣尾春一)

上告人代理人守井雄一郎の上告理由

原判決には、次のとおり判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背がある。

第一、租税特別措置法第三五条一項の解釈について、

1 租税特別措置法第三五条一項は「個人が、その居住の用に供している家屋で政令で定めるものの譲渡若しくは当該家屋とともにするその敷地の用に供されている土地・・の譲渡をした場合、」その資産の譲渡に係る譲渡所得の金額から三〇〇〇万円の範囲で特別控除が受けられる旨定める。

本件は上告人が売却した土地家屋について当該家屋が右条項にいう「個人がその居住の用に供している家屋」に該当するか否かが争点であつた。

上告人は原判決が、同条項に規定する「個人がその居住の用に供している家屋」の概念の解釈を誤り、そのことによつて上告人の請求を棄却する誤りを犯していると解するものである。

以下その点について上告人の法的主張を論述する。

2 一般に税務行政において、右法条の「居住の用に供している家屋」とは、その者が生活の拠点として利用している家屋をいうとしつつ、そのような家屋に当たるかどうかについては、次のような解釈と解釈基準を示している。

(一) その者および配偶者等(社会通念に照らして、その者と同居することが通常であると認められる配偶者その他の者をいう)の日常生活の状況、その家屋への入居目的、その家屋の構造および設備の状況その他の事情を総合的にみて判定すること(措通35-2)。

(二) そして右の場合、次の点が留意さるべきであるとして。即ち、転勤、転地療養等の事情のため、配偶者等と離れ単身で他に起居している場合であつても、その事情が解消すれば、配偶者等と起居をともにすると認められるときは、配偶者等が居住の用に供している家屋は、その者にとつても、その居住の用に供している家屋に当たる(措通35-2(一))。

(三) また、右のような形で、その者が居住の用に供している家屋を二以上有することになる場合には、その者が主としてその居住の用に供していると認められる一の家屋のみが、同条同項の「その居住の用に供している家屋」に当たる(措通35-2(一)注)。

(四) 「その居住の用に供している家屋」には、次の(五)に該当しない限り短い期間しか居住の用に供していなかつた家屋でも該当する(措通35-2(二)注)。

(五) <1>三、〇〇〇万円特別控除の適用を受けるためのみの目的で入居した家屋、<2>仮住いなど一時的な目的で入居した家屋、<3>別荘その他主として趣味、娯楽または保養の目的で所有している家屋は、該当しない(措通35-2(二)イ、ロ)。

以上は行政通達として公にされているものである。

3 しかしながら、前記2の行政解釈ならびに同解釈基準に準拠してみても「居住の用に供する家屋」の典型的な事例が分かるに過ぎず、非典型例や限界事例についての解釈が明解になつたと評価することはできない。そもそも現在の社会において外観的あるいは形態的に「居住の用に供する家屋」の概念を一義的に明らかにすることは困難である。それは、現在社会における「居住」というものの実態の著しい多様化、換言すれば、「居住=生活の拠点」の概念の崩壊という事実が問題の根底に横たわつているからである。

従つて、租税特別措置法第三五条一項の解釈において、もはや「居住」イコール「生活の本拠・拠点」の基準は万能でも、有用でもない。同条項の適用運用に恣意性を介入させる余地を残す有害な解釈基準でしかないのである。

4 居住の用に供する家屋とそれ以外利用形態をとる家屋とを社会学的に明確に区分することは不可能に近い。「居住の用」なる概念の内包と外延を社会学的ないし実態的な概念として明らかにするという方法で本件争点を解釈しようとしても、とうてい成功しはしないであろう。

居住を生活の本拠もしくは拠点といいかえても、それは結局同義反復にすぎないのである。

5 ここで、前記2に立ち返つて、行政解釈ないし行政解釈の基準に則してこのことを具体的にみてみる。

(一) 前記2の(一)(措通35-2)の内容はいわゆる世帯主型の居住の概念を前提にしており、その者だけが単身で居住しているという形態ではなく家族が一緒に住んでいるという普通の形態を基準としており、諸々のファクターを総合的に判定することを説く。この基準はこのままでは本件には有効ではない。

(二) 前記2の(二)もやはり世帯主型を前提にし、世帯主が一時特別事情で配偶者とは別に他に起居している場合、一時的事情が解消した際に配偶者らと起居をともにする(=家族のもとに帰つて行く)だろうと認められる場合、現にその家屋に起居していなくても配偶者らが現住する家屋がその者の「居住の用に供している家屋」に当たるとみてよいと説く。

この解釈基準は本件のように単身の老人の場合には配偶者等はいないわけだから、その者が戻ることを予定している「空屋」同然のものでも、「居住の用に供している家屋」に当たると解さないとバランスを失する(=不平等になる)ので、本件のような場合をも包摂すると解さなければならない。

(三) 前記2の(三)の基準の内容からみても「通達」自体も社会の実態として「居住の用に供している家屋を二以上有することとなる場合」のあることを認めている。しかし同通達はその者が「主としてその居住の用に供していると認められる一の家屋のみ」が、措置法三五条一項に該当するとの解釈を示す。

けれども、同法同条が「一の家屋」に限ることを要件としていないのであるから、右解釈は誤りである。居住の用に供している家屋が二以上あるのであれば、そのそれぞれに措置法第三五条一項が適用されると解するのが正しい。通達は「主として」の語によつて、居住の用に供している家屋が二つ以上ある場合これを「主たるもの」と「従たるもの」に分けうるとの立場に立つが、そのような区別をつけることが不可能な幾多の例が存在するのが現実である。

「居住の用に供している」形態が「主たるもの」であるか「従たるもの」であるか、その微妙な差異を詮索するなら、税務行政はますますプライバシィー侵害の深みに陥ることになつて相当でない。

(四) 前記2の(四)で期間の長短を問わないのは、正しい解釈である。現実の社会では短い期間しか居住ができず売却しなければならないケースも多いからである。

(五) 前記2の(五)の基準については、特別措置法三五条一項の規定は憲法上生存権に関わる規定だとみるべきだから、首肯できるものである。

6 以上の行政解釈の検討でも明らかなように「居住の用に供している家屋」の概念は社会学的にこれを明らかにしようとしても、全てを包摂すること不可能であり、結局極めて大きな困難に逢着する。

7 従つて、同条同項の立法趣旨が、憲法上の生存権の保障に由来する国民の「住」生活の保障にあるとみて、<1>「居住の用に供する不動産」と<2>「営業もしくは収益の用に供する不動産」との対立関係を基軸にして考え、後者(<2>)でない限り前者(<1>)であると推認するのが正しい解釈である。なぜなら、同条同項の立法趣旨として、後者を排除すれば足りるからである。

8 そして、所有する居宅が一つしかない場合、特に投資用その他収益目的が積極的に認めるようなケースでない限り、同条同項の「居住の用に供する家屋」と推認するのが相当である。

9 まして、第一審判決の事実認定の限度でも、

<1> 「本件建物が、原告の所有する唯一の住宅用建物であ」ること

<2> 「原告は昭和五七年七月ころ本件建物に寝具と生活用具を持ち込」み

<3> 「そのころ近所に引越の挨拶をしたこと」

<4> 原告は「一〇回(延べ日数で一〇日間・・引用者註)程度」本件建物に起居したことがあること

が認められているのであるから、本件家屋が同条同項の「居住の用に供する家屋」に該当することを否認するのは法の解釈適用を誤るものである。

第二、国税通則法六八条一項解釈適用の誤り

原審判決の事実認定において、控訴人の意を受けた訴外広尾剛一が山口税理士に対して「控訴人が昭和五六年四月に本件建物に転居してそれ以後本件建物を生活の本拠としていた旨」虚偽の事実を告げたと認定しているが、これは重大な誤認である。

訴外広尾剛一が山口税理士に申請用紙に添付する住民票を手交したことはあるが、「父が昭和五六年四月に本件建物に転居した」とか「それ以後本件建物を生活の本拠としていた」とか述べた事実はない。

山口税理士が内心において住民票の記載どおりの日、およびその期間控訴人が本件建物に実際に転居し、生活していたと推定したかも知れないが、それは控訴人が事実を仮装したこととは異なるものである。同税理士は期間は短くつてもよいと考えていたので、訴外広尾剛一に対し転居の日等を具体的に質したことはない。むしろ店舗兼住宅の問題点を気にしていたにとどまるのである。

訴外広尾剛一も山口税理士の一般的な説明の中で居住は短期間でも問題ない旨きいており、同税理士に任せて、その点について大して気に留めていなかつたというのが現実である。

今日では、居住控除の特例があることは広く国民の知るところである。しかし、国民は一々通達を調べたり、条文に当たつたりすることはないのであつて、知識があるといつても、それは漠然とした不確かなものである。

訴外広尾剛一も、一応の知識として居住控除の特例があることは知つていたのであつて、このことは一審以来否定していないのである。

但し、細部にわたる要件や適用の限界は知るよしもないのであつて、税理士に任せていたものである。

税理士から特に事前注意を受けたものでもない例が、いきなり更正処分にとどまらず重加算税賦課処分を課せられた国民はたまつたものではない。

悪質で巨大な税の見逃しがいくらもあるのは今日では公知の事実である。上告人がかかる無知故に重加算税までが賦課されるのは極めて不当であり違法であると解する。

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